ミドル〜シニア層の年収交渉は、駆け引きで決まるものではありません。日本の外資系エンタープライズテクノロジー業界で約20年、採用に携わってきた経験から言えるのは、スムーズにまとまる交渉ほど、候補者・エージェント・採用企業の三者が同じ情報をもとに話を進めているということです。

本稿は、外資系企業で働くアカウントエグゼクティブ、アカウントディレクター、ソリューションエンジニア、チャネルマネージャー、カスタマーサクセスの方々を主な読者としていますが、採用する側のマネージャーにも参考にしていただける内容です。なお、カントリーマネージャーの交渉は進め方が異なるため、本稿では扱いません。

交渉は常に個別の事情で決まる

良い結果につながる決まった公式はありません。同じ希望額でも、ポジション、企業のステージ、候補者が今の会社で手放すものによって、妥当にもなれば非現実的にもなります。ただし多くの交渉に共通しているのは、候補者・エージェント・採用企業の三者がそれぞれの立場を明らかにし、オープンに話し合うときに最もうまく進むということです。

交渉は、オファーが出るずっと前から始まっています。最初に確認すべきなのは、双方の条件が同じ範囲にあるかどうかです。レジュメを推薦する段階で、希望年収がポジションの予算内に収まるかどうかを企業に伝えておく必要があります。予算を上回る場合は、採用に例外的な判断や追加の承認が必要な候補者であることを、最初から企業に知らせておくべきです。優秀な人材であれば予算を超えて検討する企業も多く、予算を上回ること自体が選考を止める理由にはなりません。

当社では、一次面接の後に、この候補者は例外として承認を取る価値があるかどうかを企業に直接確認します。予算内であれば進めるが、予算を超えてまで採用するつもりはないという回答であれば、その時点で双方が身を引く方が賢明です。予算が動くことを期待して選考を続けても、多くの場合はオファーの段階で行き詰まり、双方が何週間もの時間を費やすことになります。

交渉がうまくいくのは、企業側が次の四点を理解しているときです。候補者の現在の報酬、求めている条件、その水準を求める理由、そして受け入れられる条件と受け入れられない条件です。これが分かっていれば、採用責任者は多くの場合、合意できるオファーを組み立てるか、難しい場合は早い段階でその理由を説明できます。最初からまとまる見込みのない選考に、双方が何週間も費やすこともなくなります。

反対に、情報が伏せられると交渉はこじれます。現在の報酬を明かさない候補者や、報酬レンジを示さない企業は、相手に疑念を抱かせます。条件が合うかどうかではなく、何か別の意図があるのではないかという話になってしまうのです。一度生まれた不信感は、後から条件が折り合っても簡単には消えません。

エージェントの役割は、こうした情報を双方に正確に伝え、書面のオファーが出る前に条件をすり合わせることです。書面のオファーは、すでに話し合った条件を確認するものであるべきで、新たな交渉の始まりであってはなりません。

現在の年収は伝えるべきか

現在の年収を開示すべきかという質問をよく受けます。私の考えでは、伏せておいて得をすることはほとんどありません。このレベルの採用では、企業は現年収の提示を前提としており、オファーの最終段階で源泉徴収票や直近の給与明細の提出を求める企業もあります。後から出てきた数字や、以前の説明と食い違う数字は、金額そのもの以上に信頼を損ないます。

今の年収が相場より低いと感じている方も同じです。現在の報酬はそのまま伝えたうえで、それが転職を考える理由の一つであることを説明してください。企業がその事情を理解すれば、現年収にわずかに上乗せした程度では安定したポジションを離れる理由にならないと分かり、現年収ではなく市場水準を基準にオファーを考えるはずです。これは交渉のテクニックではなく、企業が適切に判断するために必要な背景情報です。

伝えるべきなのは基本給だけでなく、報酬の全体像です。基本給、OTE、直近の目標達成率、権利確定前のRSUの評価額と確定日、次の賞与やコミッションの支給時期、日系企業にお勤めであれば賞与が基本給の何か月分で、いつ支給されるのかまで含めてください。こうした詳細があって初めて、企業はあなたが転職で実際に何を失うのかを把握できます。

企業はオファー額をどう決めるのか

多くの候補者は、ポジションの予算がオファー額を決めると考えています。しかし予算は要素の一つにすぎず、決め手になることはあまりありません。多くの企業は次の五つを総合して判断します。

  1. ポジションの予算は、オファーの出発点となる範囲を決めます。優秀な候補者であれば予算が見直されることもあり、要件との合致度が低ければ予算を下回るのが普通です。
  2. 候補者の経験とスキルは、キャリア全体ではなく、そのポジションで発揮できる力として評価されます。
  3. 既存社員の報酬とのバランスも考慮されます。同じ職種や近いポジションの社員の報酬と比較され、既存メンバーを大きく上回るオファーは社内で問題になりやすいため、明確な理由が必要です。
  4. 市場のベンチマークは、他社との競争力を保つための基準です。報酬チームはこのデータをもとに報酬レンジを設定し、見直しています。
  5. 候補者の現在の報酬は、転職に必要な水準を測る基準になります。現年収の開示が役立つのはこのためです。

このほかにも、結果を左右する要素があります。

  • ジョブレベルと報酬バンドは、多くの外資系企業でグローバルに設定され、日本向けのレンジが定められています。バンドを超えるオファーには、上位レベルでの採用か上層部の承認が必要になるのが一般的です。金額ではなく、レベルの見直しが答えになることもあります。
  • 権利確定前のRSUは、転職によって失う現実的なコストです。企業はサインオンボーナス、代替となるRSUの付与、またはその両方で補うのが一般的です。代替のRSUは新しい会社の権利確定スケジュールに従うことが多いため、実際にいつ価値を受け取れるのかを確認してください。サインオンボーナスには、一定期間内に退職した場合の返還条件が付くことがよくあります。
  • 他社のオファーは、実際にあるものであれば有益な情報であり、率直に伝える価値があります。存在しないオファーを持ち出したり内容を誇張したりすれば、多くの場合は明らかになり、企業ともエージェントとも信頼関係を損ないます。
  • 人材の希少性と採用の緊急度も影響します。見つけにくい経歴の持ち主や、急いで採用したいポジションであれば、企業には条件を引き上げる理由があります。有力な候補者が複数いる選考では、その余地は小さくなります。

日本市場で押さえておきたい点

  • OTEと、基本給と変動報酬の比率はどちらも重要です。営業職やチャネル職の報酬はOTEで示され、ソリューションエンジニアやカスタマーサクセスは基本給の比率が高めです。変動報酬はクォータ、担当テリトリー、コミッションの支払い方法に左右されるため、総額と同じくらい比率にも目を向けてください。職種別の一般的な水準と比率は、当社の2026年版年収記事にまとめています。あわせて、クォータの設定方法、既存チームの昨年の達成率、入社直後の立ち上がり期間にコミッションの保証があるかどうかも確認しておくとよいでしょう。
  • 米国ベンダーと成熟企業のRSUは、位置づけが異なります。米国のベンダー、特に上場前や上場直後の企業ではRSUが総報酬の大きな部分を占めることがあり、成熟した企業では比較的小さく安定した部分にとどまるのが一般的です。オファーを比較する際は、付与額だけでなく、権利確定のスケジュールと初年度に確定する額を見てください。日本では、RSUは一般に権利確定時に給与所得として課税されるため、手取りで見た価値にも影響します。
  • 退職の申し出の時期は、多くの企業の就業規則で1か月前とされています。法律上の最低期間はそれより短いものの、シニア層では引き継ぎのためにより長い期間を取ることも少なくありません。入社日は早めに新しい会社とすり合わせ、退職前に有給休暇を消化する予定があれば、それも含めて計画してください。
  • 夏季・冬季賞与は、日系企業や日本型の報酬制度をとる外資系企業では、年収の大きな部分を占めます。一般的に6月下旬から7月上旬と12月に支給され、基本給の何か月分という形で計算されます。それぞれ支給前の半年間が査定期間となるのが一般的です。こうした企業で提示される年収には賞与分が含まれているため、OTEのオファーと比べる際は、月給と基本給ではなく、現金収入の総額同士で比較してください。また、年2回の賞与はクォータに連動する変動報酬よりも見通しが立ちやすいため、転職によって報酬のうち変動する部分の割合が変わります。賞与は通常、支給日に在籍していることが条件となるため、退職の時期が数週間早いだけで半年分の賞与を失うことがあります。その損失は、サインオンボーナスや支給日以降の入社日の設定などを通じて、交渉の中で取り上げるべきものです。
  • 賞与とコミッションの支給時期は、交渉で得る額以上の差を生むことがあります。賞与やコミッションは支給日に在籍していることを条件とする企業が多く、退職日が数週間早いだけで、四半期分のコミッションや1年分の賞与を失うこともあります。米国ベンダーには12月以外を期末とする企業も多く、四半期の区切りが暦と一致しないことがあります。支給日と入社予定日を照らし合わせ、時期によって損失が生じる場合は交渉の中で取り上げてください。

オファーが期待を下回ったとき

提示された金額が期待した上げ幅に届かない、現年収とほぼ同じ、あるいは現年収を下回るという場合でも、すぐに辞退する前に考えておきたいことがあります。結果として辞退が正しい判断であることも多いのですが、オファーの金額はあくまで入社時の年収です。在籍する間ずっとその金額が続くわけではありません。

  • 報酬の見直しは、入社時の年収がどれだけの速さで上がるかを左右します。見直しがどのくらいの頻度で行われるか、次の見直しはいつか、一般的な昇給幅はどの程度かを確認してください。
  • 報酬バンドと昇格は、長期的な上限を決めます。オファーがどのバンドに位置づけられているか、一つ上のバンドの水準はどの程度か、上がるために何を達成する必要があるかを確認してください。企業がこれに具体的に答えられるのであれば、それは十分な判断材料になります。反対に、「悪いようにはしません」といった曖昧な答えしか返ってこない場合は注意が必要です。入社時の金額を上げない理由としてそうした言葉が使われているのであれば、なおさらです。
  • 福利厚生は、思っている以上に価値があることがあります。各種割引や手当のほか、会社が賃貸契約を結び、家賃の自己負担分を給与から差し引く借り上げ社宅制度もあります。国税庁の定めにより、本人が一定額以上を負担していれば、会社負担分は一般に給与として課税されないため、額面が変わらなくても手取りが増えることがあります。一方で社会保険料も下がるため、将来の年金額に影響する可能性があります。制度の内容は企業によって異なるため、手取りへの影響を企業に具体的に示してもらうとよいでしょう。

上げ幅の小さいオファーや、年収が横ばいの転職を受け入れて、結果的にうまくいった候補者も見てきました。そうしたケースでは、ポジションや企業そのものに魅力があったうえで、企業側が報酬の見直し時期や、見直しごとに昇格・昇給するために何が必要かを明確に説明していました。これを具体的に示せる企業ほど、上げ幅の大きくないオファーでも候補者の合意を得られています。

採用する企業の方へ

サーチを始める前に報酬レンジを確定させ、エージェントと共有してください。候補者の希望を下回るオファーを出す場合は、レベル、既存メンバーの報酬水準、報酬バンドなど、その理由を説明してください。金額が決まった経緯が分かれば、候補者は希望より低い金額でも受け入れやすくなります。書面のオファーを作る前に、権利確定前の株式や賞与の時期など、候補者が手放すものの全体像を把握しておけば、最初のオファーで合意できる可能性が高まります。

上げ幅の大きくないオファーを出す場合は、報酬の見直し時期や、バンドの昇格・昇給に必要な条件を具体的に伝えてください。それが候補者の判断を左右することは少なくありません。

転職を検討していて、ご自身の報酬について率直な意見を聞きたい方は、お問い合わせフォームからご相談ください。

本稿は当社の経験に基づく一般的な情報であり、法律または税務上の助言ではありません。

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